10代の頃、雑誌で読んだインタビューで今も印象に残っているセリフが幾つかある。ひとつはデビュー前、日本でも新聞や雑誌をにぎわす以前のジョニー・ロットン(現ライドン)の「おれたちゃ全てが憎いのさ」であり、もうひとつはスーサイドのファーストをリリースした当時のアラン・ヴェガの「僕らは人生をあきらめた」だった。あとポップ・グループがデビューした時の「他人に出来ないことが僕らにできるはずがない」というのも。個々の音がどうだったかは別で、あくまでコトバとしてだけども。
どれも翻訳モノだし、前後の文脈が不明なので活字になったものと実際のニュアンスに隔たりがありそうだが、そんなことはどうでもいい。それまでミュージシャンで「全てが憎い」だの「人生を諦めた」だの「他人に出来ないことは自分にも出来ない」などと発言しているのをみたことはなかったからだ。大概は自分を必要以上にでかくみせようとしたり、反対に謙遜してへりくだったりしたものだったので、これらを読んだ時は胸のすくおもいがすると同時にシンパシーめいたものを感じたりもした。
あれから幾星霜。僕は相も変わらず世の中のほとんどの物事や人達が嫌いなのだ。誤解されたくないのでひとこと加えるなら、憎い、などというドロドロした感情ではまったくないし、例えばモツ煮が嫌いでもモツ煮が憎い、というひとはいないだろう。
じゃあ特に何が嫌いかって?それはまた今度会ったときにでも。