月別アーカイブ: 2013年9月

アパシー

 リリースされたばかりの極東最前線3のコンピレーションCDにオウガの「tanishi13」が収録されている。話をもらってから皆でいろいろ相談したが、ライブ・トラック使用だと収録会場とのカラミもあるし新曲は無いしで過去曲の新アレンジでということに相成った。
 「confidential」録音時に一応録ったものの”普通すぎて”ボツった「タニシ」という曲を入れる事になったのだが当初から古いリズムボックスを使ったシャッフルぽいアレンジにしたかったのとジャジーでビザーレな雰囲気がいまのバンドに合うんじゃないかと考えてこういうヴァージョンを作ってみた。
 これを聴いてまさか本当のライブとおもうひとはさすがに居ないだろうけど、そういうったパートを含めていつもどおりその場のおもいつきもあって録音は順調に進行して完パケ。
 あらためて聴いてみてもいいかんじだとおもうが、ただいつもに増してシニカルさやある種の悪意と言ってもいい感覚が強く感じられるような気がした。 それは多分自分の属性でもあるだろうし、オウガ以外でも今までの僕のプロデュース作品の中にそれを感じてきたひとも確かにいるので否定はしないが、そういったシニカルさや、突き放したようなやる気の無さは今の時代、もっとも拒絶されるか忌み嫌われる感覚なのかもしれない。もっと楽しく、みんなで一緒に、という風潮の中、それに抗うものは無視されるか消えて行くしかない。

そういう時代の趨勢に声高に抵抗する気は毛頭ないけれど、もう少し、やってみてもいいかなとはおもっている。

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MAXI

 80年代はじめに横浜から杉並に引っ越してよく遊びにいっていた店があった。下北沢の西口近くにあったMAXIという当時で言うカフェバー(?)なのだが打ちっぱなしのコンクリートの店内には新品や中古のレコードもけっこう置いてあって、そのテの店には必ずあった大型のビデオモニターもあり、よくSPKのDespairが流れていた(そういえばTGのHeathen Earthの映像を初めて観たのは西麻布のニューウェイブ・ディスコ、CLiMAXだった)。
 
 店長の宮沢さんは以前はレナード・コーエンなどSSW好きだったらしいがパンク、ニューウェイブにヤラれて以降、奥さんもろともY’s系の細身の黒ずくめファッションに転向していた。その時代、パンク、ニューウェイブにハマってライフスタイルまで一変したひとが沢山居た。
 いつも昼過ぎから夜までレコードを聴いておしゃべりしたり友達とビデオを観ながらダラダラしていたのだが、奥さんが当時活動を始めたばかりの宮西計三バンドに入れこんでおり、その関係でバンドのメンバーやラリーズ系のひとたちなども結構来ていたようだ。宮西バンドのミーティング的な会合に居合わせたこともあるけど、その後何年かして一緒にやることになる松谷や栗原もその場に居たんだろうなと想うと不思議な縁を感じる。
 扱っていたレコードもアヴァンギャルド系やノイズの新譜が多かったので後期M.B.などはここで買った。Plain Truthを買って帰った夜、聴きながらここ何年か続いてきたものが終わるんだなという漠然とした感覚に襲われて、実際自分の中ではこの時を境に、というのがあったのだがそのことはまたいつか。(ちなみにPlain Truthと一緒に買ったのがPsychedelic Unknowns vol.1だった)
 
 記憶が正しければ宮沢さんはしばらくしてMAXIをたたんで渋谷にZESTをオープンしたはず。ここはカフェとかではなくニューウェイブ、ノイズ系の輸入・中古レコードショップだったがそれも割と短期間でひとに譲って銀座、高田馬場などを転々としながらレコード店を続けていたがしばらくして郷里の北海道に帰ってしまったときく。その後のZESTが90年前後の渋谷系のブームとともに有名店になっていったのはご承知のとおり。

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薄暮

 買ったものの聴いてないレコードが沢山ある。聴くタイミングというのがあってその時期を逃すとなかなかターンテーブルに載せる機会が無くなる。なんとなくジャケ買いすることも多々あるので部屋の隅に積んであるジャケットをチラチラ見ながら音を想像するだけで数週間ということもままある。
そして意を決して聴いてみた瞬間に妄想は終わる。
 好きなジャケット、アートワークは、みたいな話題になることがよくあるでしょ、みんなそれぞれやっぱヒプノシスだよね、いやキーフでしょ、コレですよコレ、みたいなかんじで夜は更けていくのだが、好きなジャケットと言われていつも思い浮かぶのがMartha & The MuffinsのThis Is The Ice Age、81年のレコード。
 内容は及第点のニューウェイブといった趣きでとりたててどうということもないのだが、同一アングルの写真で壁の剥がれかけた古い家の屋根と高層ビルをバックに日が落ちる前と日が昇りはじめた薄暮の時間を切り取って表と裏に配したジャケット。
 誰に言っても、ほう、とか、なるほどね…みたいな反応しか無く賛同を得られたことはない。
なんだろうなこれはと、つらつら考えてみたら大学時代に沿線に住んでいていつも使っていた東横線からみた早朝と夕方の景色にそっくりだった。

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桁落ち

 ちょっと見ない間に埋めてあった物が掘り起こされたりとっくに死んでるところを叩き起こされたりしててどうしたの、なにかあったん?と尋ねるまでもなく、誰かのホントの死をきっかけとしてタガが外れる、ということがあるんだなあ、と妙に納得。
 これからは、時間場所まで特定した上でご存じない方にはお帰りいただくとして、という風潮になるんだろうけどだったら「関係論の視座ってさ」とか「みた?NHKのイ◯ーナウ」とかまで苦笑いできる小ネタもあればいいのに。一部にとっての起点なのは間違いないだろうし。
 60年代末から聯綿と続いた「ロックと私」にまつわるひとりがたりがニューヨークパンクの等身大性やフリージャズの速度という免罪符を得て、不可視だったものがやがて青臭いゼリー状の固まりになっていくのを見ていた10代は多いはず。
 「ノイが腐ってくようなのがやりたい」とK谷が言ってた頃のノイと今の(もうとっくにないけど)ノイでは在り方も意味も違うし、アイヴァースが初めてJamで紹介された時、レビュー中にルイス・フューレイの名前があったことで決定的になってしまったことも演奏者にはまったく無関係な「こちらの事情」でしかないし。
そんな「事情」をいま、噛んで含めるようにして説明する意味?
だって、これも全部嘘かもしれないって言ってたじゃん!

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