月別アーカイブ: 2015年2月

Live

U.F.O.CLUB presents 石原洋・MANNERS 2マン

date;4/3(金)

会場;東高円寺 UFOCLUB

live;・石原洋 with friends(石原洋+田畑満+北田智裕+山本達久)

・MANNERS(見汐麻衣+亀川千代+あだち麗三郎+坂口光央)

open;19:00-
start;20:00-

前売り;¥2500-(+1D)
当日;¥3000-(+1D)

※前売りチケットはufoclub(03-5306-0240)にて電話予約受付中

Share Button

紙と店

 モダーンミュージックの店舗が閉店してそろそろ1年になる。モダーンのみならず個人経営のレコードショップは年々減少して最早絶滅寸前だそうだ。いまやマニアックな音楽情報はメジャーからマイナーまで、ウソかホントか判らないような事も含めてネット上に溢れかえっているが当時はレコード屋か紙媒体、知り合い同士の口コミぐらいしかなかった。
そうなるとメジャーな音楽誌だけではパンク以降の時代のめまぐるしい変化を逐一フォローする事が不可能になり、もっとマニアックな連中は勢いミニコミにまで手を伸ばすようになる。
 70年代末、原宿〜青山近辺には極楽鳥、SMASH、赤富士といったパンク系古着と輸入レコードなど雑貨を扱う店が点在していて、キラー通りのあたりにあった極楽鳥(かSMASHのどちらか失念)でバズコックスのブートLPを買った折りに店員に「これ、バズコックスの好きなひとたちが作ったミニコミなんですよ」と教えられた手書き・コピー・ホチキス留めのミニコミ、その名も「POP新聞」を買った。バズコックスやトーキング・ヘッズ、デビューしたての頃のプラスチックスとかを題材に、誌名のとおり当時のポップ・カルチャーを論評する内容だったと記憶する。その店では西海岸のアンダーグラウンド・シーンを扱うSLASHなどの海外タブロイド誌も置いてあったので定期的に寄って、POP新聞も新しい号が出ていれば購入し、たしか3〜4冊ぐらいは持っていたはずだ。当時ぼくは横浜に住んでいて記憶が間違ってなければそのミニコミも神奈川発だったということもあるかもしれない。編集長の椎名謙介氏がすきすきスウィッチというバンドを始めた、というのもそれで知った。
 昨年、長年の友人でかつてCISCO・アルタ店に勤務していてその後、90年代に野界くんと新宿にノイズ系専門店クララレコードを立ち上げたMくんと話していたらその椎名氏とはCISCO時代の知り合いで当時お世話になったときいた。クラブキング、ピテカン系の人だったようであのミニコミやその後のすきすきスウィッチ周辺とはだいぶイメージが違ったので驚いた。

 関西で発行されていたミニコミで東京で入手できるものもあり、どこで買ったか忘れてしまったが(馬場のオパス・ワンか?)大阪の「DISK GALLERY」という割と手の込んだ装丁のものが面白く、80年代前半、5号ぐらいまで続けて買っていた。内容的にはニューウェイブから軽めの現代音楽まで、という当時のロック・マガジンに多少影響を受けたようなレコード・レビューが多かったようにおもうが、METRO、ORCHESTRA LUNA、SLAPP HAPPY、BEACH BULLIESなどを取り上げていたことから、ロック・マガジンで紹介されたものから自分たちのテイストに合致したものをすくい上げていく、という印象があった。
 その何号(83年?)かでいろいろなレコード・ショップのオーナーにアンケート(だったかインタビューだったか忘れた)というのがあって、たしかこれから注目すべき音楽は?みたいな問いにモダーンミュージックの生悦住氏が「もうニューウェイブとかは面白くなくなってきたのでこれからは60年代のサイケデリックな音楽を遡って聴くようになるのではないか」というようなことを語っていた。これは随分後になってサイモン・レイノルズの「ポストパンク・ジェネレーション」で筆者がアフターチャプターの項で述べていた英国での83〜84年の気分とキレイにリンクする。
 ちょうどその頃、以前にも書いた下北のMAXIで60年代マイナーサイケ・ガレージパンクのコンピレーション、「Psychedelic Unknowns」を入手した。アヴァンギャルドやニューウェイブ、好きだったジャーマンロックさえ最早不要な物におもえた。ほどなくMAXIは閉店し、当時よく遊んでいた若江くんという広告業界の友達(ちなみに彼はWireless Sightという音楽ユニットをやっていて一緒にスタジオでセッションもしたような気がする。それ以前の録音をロック・マガジンにデモテープとして送ったら勝手にヴァニティのカセットボックスに入れられて、連絡してもまったく返答がなかったので仕方なく自分で買った、と嘆いていた)に「石原くんはモダーンなら結構趣味が合うんじゃないかな」と言われて明大前に通うようになった。それ以前から店には何度か行った事はあったがとにかく廃盤(特にイタリア系)が高いというイメージで店の人と接触したことは無かった。
 
 とりあえず不要になったレコードを処分したくて何枚か持参すると店長は「お、LAFMS、これ珍しいですね、もう要らないんですか?」「いや、ダブリで持ってたので。。」「じゃあアレとか知ってます?ESPの、トニー・コンラッド関係の。。」「クロマニヨンですか?持ってますよ(実はトニー・コンラッドはまったく関係なかった事がのちに判明)」「じゃあ、サイケ系のティム・バックレーとかピーター・アイヴァースとかタイニー・ティムは?」「ああ、好きです、何枚か持ってます」「じゃあフリージャズとかも。。」「ええ、先日、高木(元輝)さんと小杉(武久)さんのセッション観ましたよ。録音したんですが聴きますか?」「マジっすか(とはさすがに言わないがそういう勢いで)、ぜひダビングを」みたいなイニシエーションが延々と続いたのだった。当時はそういったマイナーなレコードやアーティストを好んで聴いている人口も少なかったのだろう、同好の士ということで歓迎されたようだった。
 当時ぼくは20代前半だったが(ということは店長は30代半ば、どうみてもおじさんにしか見えなかったが現在もその頃とあまり変わってないことの方が凄いのかも)お客さんや関係者も20代前半か学生など、同世代のひとが多かった。バイト店員も何人かが日替わりで、中でも今ではムジカ・ロコムンドを編纂してブラジル系音楽の大家となったらしい小山(雅徳)くんは当時大学生(だったとおもう)でニューヨーク・パンクとケヴィン・エアーズのヘヴィー・コレクター、同じレコードを各国盤や帯付きで何枚も持っていた。ある日、店に行くとカウンターの前にホワイトハウスやカムなどのレコードとカム・オルグのバッジや機関紙、グッズなどが積み上げられていた。小山くんに「これは?」ときくと「このひとが処分しにきたんですよ」と言って、カウンター横で人懐っこい笑顔で「ども、ども」と挨拶する男を指差した。「凄いですねー」と言うと、「いや〜もう聴かないんで〜 直でカム・オルグから買ってたんでいろいろオマケなんかも送ってきてたんですよね〜」
勿論当時はメールはおろか家庭用ファックスさえ普及してなかったので海外とは手紙でのやりとりだったはず。「コンラッド・シュニッツラーとも文通してたんですよ。ヘンな自主カセットとかいろいろ送ってもらったり」「自分でもノイズみたいなのもやってたんだけど今はもっとヤバいロックンロールみたいなのがやりたくて。。あ、松谷です〜、よろしく〜」
 
 暫くして店に行くとその松谷がカウンターの中にいた。このあたりの前後関係の記憶が不確かなのだが、遊びに行くと「ジョナサン・リッチマンの新しいLP入りましたよ」「クラウス・ディンガーの新譜(ネオンディアン)、凄かったよ。在庫1枚あるけど要ります?」みたいによく声をかけてくれた。店には各ジャンルのやたら深い知識と資料(レコードや本)を大量に持っている人が集結していて彼等に個別に対応するのもなかなか大変だったはずだ。松谷とはその頃、趣味というか「いま聴きたいもの」が共通していて、僕も松谷もそれぞれがやっていたバンドが行き詰まりはじめていた。で、どうなったかって?それはまたの機会に。

 話しを戻して、もう少し後になるとモダーンの客層は更に若返っておなじみ中原昌也や現DOMMUNEの宇川直宏や前述のクララを始める前の野界くんも常連だった。特にハタチになったばかりぐらいだった中原はヒマだったらしくよく遊びに来たが、その度、店の郵便物運搬を手伝わされたりして「一応、ぼく客なんですよ!」と軽くキレたりしていたものだが、愛嬌があったので皆から可愛がられていた。自主で作ったカセット作品もよく持って来ていて、結構売れたりしてたのだが(これはアーティスト名ナシで売って下さい、と頼まれた作品もあったが売りようがないので僕が勝手に名前を付けたものもあった。すまん)いつだったか店からの帰りの電車でメルツバウの秋田さんと話していて、最近の若手のノイズ系(暴力温泉芸者、ゲロゲリ、クリミナル・パーティーなど)ってどうですか?と質問したところ、「若い世代にとってノイズが既にパロディの対象になってるのが興味深いですね」と話してくれたのが印象に残っている。中原たちにとっては単にパロディと片付けられるものではなかった、というのは彼等のその後の活動をみても判るのだが。
 宇川くんはその後購入したというカッティングマシーンでTWOTHOUSAND MANIACSというアセテート盤ブート専門レーベルを始めた。ホワイトハウスやM.B.などを豪華な装丁で作って店に持って来ていたが「ホワイトヘヴンのアセテートも作りたいから音源ください」と言われて「いやまあ、そのうち」と断ったことがあったと今思い出した。同じ頃彼が作ったDEEPのラスティ・エヴァンスのアセテートはもらった記憶がある。
 他にも、どうみても子供なのにアヴァンギャルド系やレコメン、プロレス(モダーンはプロレス好きが多かった)などに深い造詣を語るような客も居て、店長が「君、いくつなの?」ときくと「小6です」と言われて腰を抜かした、いう話しもあった。彼は岩田くんといってその後カセットでノイズ系の作品を制作して店にもってきたりするようになる。現在の様に固有名詞さえ知ってれば誰でもどんなマイナーな情報にもアクセス出来る時代に、例えば小学生がローランド・カインを聴いてようがイングラム・マーシャルを語ろうが別に驚きはしないが(一応驚くけど)、その頃そういったアーティストに10代でたどり着くには余程物好きで、時間とお金と特別な熱意が無ければ無理だっただろう。

話しが脈絡無くなりそうなので続きは気が向けばそのうちまた。

Share Button