月別アーカイブ: 2016年7月

深夜喫茶

 山辺くんの深夜喫茶でDJ。佐藤さんの誕生日と坂本のリリースパーティーも兼ねていたので関係者一同集結して、珍しく早い時間から大混雑。
復活した二見くん、 Videoくん、Summitの増田くん、ハイファイ松永くん、新宿Tチーム、久しぶりのUFOチームなども。楽しかったけど朝6時前には離脱。寄る年波には勝てず。

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goodbye darling

byebye Alan.

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優雅な距離

 VIDEOTAPEMUSICのレコ発に行ってきた。安田氏の出版記念パーティ以来2度目だったが大きい会場で観るのは初めて。
彼の真骨頂はカットアップ/コラージュされた映像と自己との絶妙な距離の取り方だ。もともとは別の意味性を持っていた映像を断片化して連結させ自らは触媒や口寄せのように別の物語を映像そのものに語らせる手法は所謂音楽DJのやり方とは似て非なるものだと思うし、その手が届きそうで届かない優雅な距離感は例えばソロ以降の坂本の100%オレ、的な作業を突き詰めていった結果、特に今回の新作に顕著な疲弊しきった肉体性と自我との、珍しく明晰さを失ってしまったような重苦しい乖離とは180度違う場所に位置している。
 一応言っておくけれど、これは批判ではなく単純にそれぞれの制作におけるメンタリティの在り処の話だ。僕は坂本が事前の制作意図に反して音の粒子一つ一つまでが無気力で異常にヌケの悪い、いわば聴きどころのない不吉なアルバムを図らずも作ってしまったことに凄く驚いているしある意味この暗い時代を道連れにせざるをえなかった真摯なその姿勢と生真面目さに共感している。これが最近流行りの、いい曲ホリック(と呼んでいるんだが、ポップス黄金律の過剰信仰やコードとメロディ、転調をはじめとする定番のアレンジやビートの全能感に依存するあまりサウンドのストラクスチャーや時間軸への創意工夫を忘却)なポップさ全開なアルバムだったらいくら歌詞が面白かろうが興味を失っていただろう。要するに坂本は誰にも守られていないのだ。
 現代の暗鬱たる八方塞がりのムードを細胞レベルで吸収してしまった坂本とVIDEOくんのやり方は全く違う(そんな二人が共同作業したりしてるという事実もまた面白い)。VIDEOくんのライブを観ていると、あの二つの大戦に挟まれた1920年代から30年代の世界と、そしてやがて来るだろう重苦しい時代をすぐそこに控えた戦前としての現代を生きているものとに共通する、つかの間の享楽と、もう取り戻すことのできない、かつてはあったのだろうまばゆい輝きをとてもリアルに感じてしまうことがある。彼の指一本で時間はある一点まで強引に何度でも巻き戻され、登場人物はからくり人形のように登場/消失を繰り返し、めくるめくスピードで生き返ったり死んだりを繰り返させられる。このサディスティックな無時間性は彼の特徴とも言えるけれどそれ以上に彼の映像や音楽は自分が止めてしまった時間、その一瞬づつに切り取られたフイルムの束への思慮深い逆照射のように思える。
 しかし音だけ聴いているとTAN TANの避暑地の出来事みたいだったりかつてのエキゾぽかったりするけれど(それでも独特の距離感はキープされている)、いつか彼の音楽が映像を、映像が音楽を裏切るような時期が来るとすればその風景を見てみたいよね。

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