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幕間

 客入れはチェット・ベイカー・シングス、演奏終了時はタイニー・ティムのWhat The World Needs Now Is Love、これは80年代の最初のライブの時から決めてあってほとんど変わらなかった。
ただでさえ少なかった客の中でそれに気づいた人がどれだけ居たかはわからない。

 それは僕(ら)の立ち位置、そしてどこからやって来たのかをしれっと提示するある意味わかりやすい暗号としてあったので人任せにして無関係な曲を垂れ流すわけにはいかなかったし、その間に挟まれた僕らの演奏はそれを証明せんとする手立てのひとつだったとは考えられるが、結局それ以上でもそれ以下でもなかった。
と、今となっては思う。

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from room 109

at The Islander on Pacific Coast Highway

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nothing in somethingparticular

82年にリリースされたAssociatesのSulk。今の世の中では多くのリスナーが即座に拒否反応を起こしかねない硬直したベースと変調されたドラムスに何重にもレイヤーされた過剰な音像。
ブラックミュージックの要素ゼロ、隙間ゼロの極めて歪で人工的な官能。そしてあの声。

ジャケットの、繁茂する植物を照射しながらぼうっと発光するマグネシウムを思わせるグリーンとブルーのトーンは幾分のメタリックさを増しつつインナースリーヴ、レーベルにまで徹底されている。これは超俗的な美意識というより、正真正銘のカンナビス。
当時、このジャケットを一目見てジャック・スミスを想起したのは覆いかぶさる植物がシダに見えたからか?冷蔵庫は見当たらないとしても。

とまれ、アルバムはTOP10入りしたにも拘らず発売後のライブ、全米ツアーを拒否したビリー・マッケンジーはアラン・ランキンに匙を投げられ二人は袂を別つ。
その後の彼を待っていた悲劇、それはたしかにこの世界ではよくある話、なのかもしれないが、ある友人が言っていた「何かが全開になってしまっている人の凄み」というコトバはこのアルバムにこそ当て嵌まるんじゃないかな。音の好みは別として。

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残務処理

サイケの自主盤とかレア盤などは数年前に急激に興味を失って、知り合いに頼んでほとんど手放してしまい全く後悔していないけれど、このあたりはまだ残っている、というのがいやはやなんとも。

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8384

 80年代半ば、耳ざとい友人や輸入盤店で話題になり始めたレコードがあった。イギリスの4ADからリリースされたThis Mortal Coilという女性ヴォーカルを含むユニットで、ティム・バックレイやビッグ・スターのカヴァーをやっているという。ジャケットのアートワークの耽美さが苦手だったがとりあえずシスコだったかオパス・ワンだったかで購入した。
 一聴して「コレじゃないだろ」という嫌悪感にも似た感情を覚えた。ティム・バックレイは「Song To The Siren」、ビッグ・スターは確か「Holocaust」と「Kangaroo」だったが、そのカヴァーの出来不出来はともかく、その選曲に拒否反応を起こしたのだった。
 原曲は今も多くのリスナーに愛され続けている名曲なのは認める。しかしそこだけがピックアップされることによって彼らのイメージが決してしまうような気がしてならなかったのだ。実際、このアルバムは当時日本でもすごく売れたしこれでチルトンやバックレイ、ロイ・ハーパーを知った人も多かったと思う。
 「傷つきやすい繊細さ」や「無垢なナイーブさ」をこよなく愛するミュージシャンやリスナーは今も数多いだろう。そういう捉え方、そしてどうも近年感じる「サードが好き」的な風潮の端緒と感じたのがこのアルバムだった。例えばビッグ・スターはサード、ヴェルヴェッツもサード、ラヴはフォーエバー・チェンジスなどなど。
そこには、その前にVUならメタリックなゴミのように歪みまくったWhite Light White Heat, バックレイなら寒気がするようなLorca、チルトンなら(後になるけれど)個人が解体していく過程を自らドキュメントしたかのようなLike Flies On Sherbertがある、という当たり前の文脈がすっぽり抜けているような気がするのだ。もちろんそれを承知している上で、という人も多く居るというのも判ってはいるのだが。
  キレイなものだけ見ていたいとか自分のナイーブさだけを標榜するような人は、だいたい会って話してみるとやたらとイケ図々しいヤツだったり計算づくの無邪気なそぶりだったり根拠のない被害者意識の塊だったりして疲れることこの上ない。まあ僕のようなひどく鈍感で繊細さのカケラもないと常々自負している人間にはわからないだけなのかもしれない。きっとそうなのだろう。

  83年から84年頃、This Mortal Coilや同じ時期に出た他のレコード(インダストリアル系も含む)を聴いて、数年続いた嵐のようなパンク〜ニューウェイブの季節が終わり、再びプログレ的な様式美の世界(インダストリアル系だとジャーマンのタンジェリンのAtemとかZeitの頃みたいな形の抽象)に回帰していくのだろうなとぼんやり感じたあたりから輸入盤店に行って新譜を買うということをしなくなってしまった。そして同時に自分が体験できなかった60年代の未知の音楽を中古盤店で探し求めるようになっていった、というわけなんです。もう20代も半ばにさしかかろうとしていて、こりゃ自分でちゃんとやったほうが早いのでは、などとも思い始めていた頃でした。

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chance meeting

 インターネット、SNS全盛の現代においても未だにどこをどう探しても出てこない、埋もれてしまった情報や記述、証言の類は無尽蔵に存在するということはご存知の通りで、サイバースペースの中に存在するのはそのうちほんの一握りの事象でしかない。それは何も過去のものに限ったことではなくたとえば先週発売された雑誌を手に取らなければ永遠に知ることのない情報や事実もいくらでもあるだろう。活字媒体、いわゆる紙モノの重要性は以前にも増して大きくなっているように思える。

 モダーンミュージックが閉店直前ぐらいまで不定期に発行していたハウスマガジンのようなG-Modernという雑誌があった。創刊したばかりの91年ぐらいに頼まれてレコード・レビューやちょっとした記事を書いていたことがあるのだが、「埋もれた名盤」というコーナーにVirgin Insanityのアルバムを紹介したことがあった。以前のブログにも書いたことがあるが、これは71年に米テキサスで200枚プレスされた自主制作盤で、その頃モダーンではそのコーナーに取り上げられていて聴いてみたいけれど入手が難しい、というものについて、希望者にはカセットにコピーして配布するという気前のいいサービスをしており(生カセット代のみを負担してもらう仕組み)、このアルバムにもそれなりに反響はあったようだ。
  それから15年ぐらいしてアメリカのDe Stijl RecordsのClintという人物から突然メールをもらった。彼はG-Modernの創刊号を入手して僕の書いたVirgin Insanityの記事を読んだという(日本語が読めるとは思えなかったのだが。記名も日本語だったし)。記事にはジャケットの小さい写真が出ていただけなのでなんとかレコード盤のレーベルの写真を送ってもらえないかという。訝しく思いながらもレーベルのスキャンを送ってあげたら10日もしないうちに返信が来て、バンドのメンバーが見つかりDe StijlでLP再発することになったのでライナーを頼みたい、という。レーベルのHPを見てみたらリリース・インフォが既に出ていてライナーがYou Ishiharaになってるじゃないの(笑)慌ててその件は丁重にお断りしてまあ再発できてよかったね出来上がったらサンプル1枚送ってね、と返信したら数日して今度はVigin InsanityのメンバーのBob Longから直接メールが来た。BobによればDe StijlのClintは僕の送ったレーベル写真にプリントされていた当時の住所から本人を探し出しコンタクトしてきたのだという(それは古い自主制作盤のデッドストックをトラックダウンする場合の常套手段ではある)。Bobは丁寧な謝礼、Thank you so much for all you have done to keep a dream aliveというメッセージとともに、未発表だった録音物などをCDRに焼いて送ってくれた。そしてトントン拍子に日本盤CDも発売される運びとなったのはみなさんご存知の通りだ。東京のマニアックなレコード屋が少数出版したミニコミの片隅に載ったレビューを15年後に読んだ米国人が動いてこういうことになったというのも感慨深いものがあったが、改めて紙モノの重要性を再認識させられる出来事ではあった。

  余談ではあるが僕はその後、G-Modernの同じ号にレビューを書いたRising Stormのメンバーとも偶然知り合っている。僕は好きな作品を作った本人と知り合いたいなどと思ったことは一度もないのに、縁とはとはまことに奇なものである。

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明大前

さようならモダ〜ン・ミュージック
さようなら明大前
生悦住さん、楽しかったよ、ありがとう。

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発売中の実験音楽、或いは思考的音楽の一部

 年も押し詰まってから石坂敬一氏の訃報が飛び込んできた。石坂氏といえば僕らの世代にとっては東芝音楽工業の洋楽ディレクターでありピンク・フロイドの「原子心母」を始めとする一連の作品やT.レックスの「電気の武者」のような秀逸な邦題ネーミングでつとに知られていた方だ。ファースト・アルバムがリアルタイムで発売された後、しばらく日本発売が見送られていたピンク・フロイドの「神秘」を2度の編成会議を経て国内発売にこぎつけた(イニシャルは600枚だったという)のも、同じくフロイドの「原子心母」を「プログレッシヴ・ロック」という新ジャンルをメディアに広めてブレイクさせたのも(当時、六本木、青山、渋谷あたりでは原子心母の牛のジャケットを持っていることが一つのかっこよさの代名詞になりつつある状況だったとインタビューで語っていた)、73年に発売された「狂気」を並み居る日本のアイドル、ポップス、歌謡曲を蹴落として総合オリコンチャートの1位に送り込んだのも石坂氏の尽力によるものだった。
 並行して東芝は「実験的・思考的音楽」としてタンジェリン・ドリーム、アモン・デュールやカン、サード・イアー・バンド、ケヴィン・エアーズ、ホークウィンドなど売れそうもないアンダーグラウンドなアルバムも日本発売、それぞれに丁寧なブックレットを添付して解説はあえて通常の音楽ライターよりも当時美術手帖の編集長だった宮澤壮佳や映画評論家の金坂健二を起用するなど独特のプロモーションを展開していた。
 タンジェリン・ドリームはわざわざドイツOrhから原盤権を買ってリリースしたようでピエール・シェフェールやアンリ、クセナキスなどは72年に国内発売された「ケンタウロス座のアルファ星」のライナーノーツ(というか解説書)の論考で初めて知った。ちなみに添付された帯のタタキ文句は「このレコードの価値は聴き手の耳と主観に依存する」であり、解説の主題は「宇宙と人間の磁場」だった。今なら「ナニコレ」と笑い飛ばされるだろうが当時はもちろん本気である。サード・イアー・バンドに至っては3枚ともほぼリアルタイムで発売した上に「マクベス」からは日本のみのシングル盤まで切っている。「錬金術」は初回発売の解説書では「これでもロック」であり、帯の文句は「現実か幻覚か、心の耳で確かめよ!」だったが数年後サードアルバム「マクベス」発売に伴う再発盤の帯では「第三の耳とは心の扉なりき….その神秘の音塊は恍惚境の舞踏、そして言葉の力はそこに消失する」となり、解説書には実際の錬金術の図版や「形而上的エロスの小宇宙」などのオカルティックな論説が紹介されていた。これらが当時の洋楽のメインの購買層である中・高校生だった僕らにどれだけ魅惑的に映ったか想像できるだろうか。それは70年代後期以降の宝島やもっとあとのクイック・ジャパンみたいな、マンガやアングラ音楽も含めたサブカルチャー、ポップ・カルチャーが面白い、なんでも面白がってみよう的な視点ではなく、どちらかというとポピュラーミュージックの一形態でしかなかったロックをむりやりハイカルチャーと結びつけて流布させようという、過激だけどかなり無理のあるプロモーション方法だったと今となってはおもう。
 もう一つ、石坂氏といえばロックマガジン創刊号の対談記事で阿木譲に、何故ラリーズを出さないのか、石坂さんなら出せるでしょう、出すべきだとしつこく詰め寄られて「そこは。。。もう少し待ってください。。」と困惑していたのを思い出す。その頃東芝はクリエイションやコスモス・ファクトリーの売り出しに必死でそれどころではなかったと想像するが。

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end of a year

 この人(たち)がこれをやる必然性があるのだろうか?と、いうのは音楽を聴いていてよく思うことで、ジャルに限らずそれは特に新しいものに顕著だけれど、古いものでもその前後を辿っていくとそういった疑念が湧くことがあるので時代の新旧を問うものではないのかもしれない。
 僕の言う必然性とは「こうならざるをえなかった」「これしか他に方法がなかった」に近いニュアンスなのだが、音楽も長くやっていると煮詰まってきて「何か別のこと」とか「あんまり他人がやってないこと」とかに活路を見出そうとしがちで、新しいモデル、スタイルを見つけるとすぐやってみたくなったりするでしょ?ミニマルやノイズ的前衛風味を付け加えてみたり民族音楽に頼ったりジャズ理論をかじってみたり。でもそういった自然体では無い感覚をモノにするには当然一朝一夕にはいかないわけでそれを未消化なままやってしまうと一般には面白がられても、イヤな言い方だけどそれなりに聴き分けられる感覚や経験値を持った人からはたちどころに峻別されてしまう。それならサンプリングの方が手法や思想を伴いわない分まだマシだ。  
 生煮えのスタイル剽窃ほどみっともないものはない。「資格」という古びたコトバがまだ有効だとしたら音楽に限らず幾多の表現方法には「それをやる資格」も必要な気がする。もちろんそれは自分で自分を資格認定出来るようにならなければ意味がないのだけれど。

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部活

  暮れも押し詰まったというのに迷えるオヤジが4人、いつもの新宿Tに忘年会よろしく雁首そろえて集合。定期的に開かれているとはいえ、4人が揃うのは夏の原村出張会議以来。その折に会議名が付与されたがどうにもこうにも発語しづらく、集まる人数によって「首脳会談」「本会議」「有識者会議」などと名付けられたもののこちらも使われたことはない模様。
  
  さて、いずれも音楽業界ではそれなりに知られており、知識と経験の豊富さはもちろんキツい一家言を忘れない御歴々なので毎度毎度その議論におけるハードルは上がるばかり。もちろんここでは今年世間が褒めちぎった作品だろうが近しい友達の作品だろうが果ては作者を眼前にしていようが躊躇なく俎上に挙げられ一刀両断にされた後、即座にゴミ箱にぶち込まれる。お互い褒めあって気持ち良く、などというヌルさは誰も持ち合わせていないからだが、今夜も年末の音楽誌では本年度の名作とされた盤が次々と批評の対象として晒されていく。
  夜が更けるにつれ話は観念論から80年代~現在に至るサブカルチャー論、日本の音楽ジャーナリズムの酷さ、ちょっと期待してたけどダメだった人の話、しまいには「ストーンズで好きなアルバムは」とか「同じ黒人なのにジミヘンとマルコム・ムーニーとスライの差異とは」などと、いにしえのロック喫茶もかくや、というべきオヤジ度100%の議論に場は更にヒートアップ。お客がはけるとD店長もたまらず参戦し泥仕合を繰り広げながら毎度のことながら気づくと朝4時半。結局「近い将来、一顧だにされていない戦前ブルースや初期のR&Rは、やんちゃ系ではなくアタマのキレる少数の若者らにカッコよくクールなものとして認識されはじめ、手法やスタイルの模倣ではなくその本質や感触だけを拠り所にした音楽を作ろうと模索する奴らが出てくるだろう」という結論に落ち着いた(笑)

  店じまいを待って睡魔と闘いながら向かうのはおなじみのカレー屋。会議終了後、ここでカツカレーを食べるのがノルマとされているのだ。まるで男子校の部活のシゴキのようでもあるが、朝5時ぐらいに素性の知れないオヤジがわらわらと入店し「カツカレー五つ」と注文しカウンターで一列に並んで一心に食べている図はまことに壮観である。酔いも覚め腹も朽ちたオヤジ5人は若干の胃もたれを感じつつ1月の新年会での再会を約束して三々五々タクシーに乗り込み帰路につくのだった。

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