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 例えば「トランスフォーマー」はミック・ロンソンで「ベルリン」はボブ・エズリンだった、のだけれど、かといってそれらはやはりルー・リードのアルバム以外何者でもなかった。当時最も才気走っていたミック・ロンソン(アレンジは殆ど彼だ。ボウイではなく)や、なんでもドラマ仕立てにしてしまうエズリンの強力な後ろ盾があったにせよ、だ。しかし「サリー・キャント・ダンス」でいよいよこれはダメだとおもったのかそれ以降はあからさまなプロダクションによる作り込みは影を潜めて行く。小杉武久氏のリスニング解説も香しい(日本盤LP)「メタル・マシン・ミュージック」でジョン・ケールとトニー・コンラッドへの借りを返したあとは「コニー・アイランド・ベイビー」で落差激しくうなだれた独白をレイチェルとともに演じてみせることとなる。と、ここまでが第一幕だった。
 さあここからが本題だ。「ロックンロール・ハート」を経て次に出された「ストリート・ハッスル」と「ベルズ」。この2枚がロックのアウトサイダー烈伝に忠実に生かされてきたルー・リードの円熟、または成熟期のアルバムといってさしつかえなかろう。そもそもロックに円熟だの成熟だのというコトバは似つかわしくない、という一般論を承知の上で、だ。
 当時のロックは常に最新先端を更新していくべきという激務を負わされていたとすれば、彼の音楽はVUの初期とメタル・マシンを除けば決して時代から突出していた訳ではなかった。むしろニューヨークの一風変わった詩人といった風情だった彼が、父親との確執のトラウマを女々しくも歌ってしまえるような弱々しさを武器に囲って来たのは頽廃だの背徳だの、クスリで早死にすることを期待するファンでしかなかったのは彼自身が一番よく判っていたはず。それは映画「Get Crazy」でのディランと重ね合わせて自己パロディー化した場面を思い出すまでもなく。
 で、この2枚に横溢するむせ返るようなムード。コレはなんなのか?多彩なゲストも、結局本人も使い方がよく判ってなかったバイノーラル録音も、最早どうでもよくなる圧倒的な存在感と、そのワリにどこにも着地できていない焦燥感。喋りまくり騒ぎまわった挙げ句、アワを吹いて倒れる子供みたいに。
 でも実は僕のルー・リードはここで終わっている。多分ルー・リードはなにも変わってなかっただろう。変わってしまったのはこちらのほうだったのだ、よくある話だけれど。思い入れとともに語る、というのはいささか気が引けるし本意ではない。特に彼のようなミュージシャンであればなおさら。しかし、そういった一方的な思いを道連れに死んでいった間章のようなひとも居たわけだし。もちろんそれとて彼が言っていたように単なる中断、無意味な死にすぎないのだろう。なんといってもこちらはまだ生きているのだ。その、まさに当の本人が死んでしまった今もなお。
 80年代前半だったか、小杉さんと故・高木(元輝)さんのライブのあと打ち上げで同席した小杉さんに「ロックなんかも聴くんですか?」と尋ねた事があった。「ルー・リードね、70年代に来日したとき観に行きましたよ。なんというか、空から音がキラキラ降って来るみたいでよかったですよ….」と僕みたいなコドモに向かい合ってくれながら小杉さんは運ばれて来たカエルの足の唐揚げにかぶりついた。すると持ち手用に付いていたアルミホイルが外れてパーの字に開いたキレイな水かき付きの足先が現れた。小杉さんはそれを見て小さく「うわあ….」と言った。

(2014年文藝別冊KAWADE夢ムック 追悼ルー・リード)

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