クローゼットを整理していたら懐かしいものが。というわけでルイス・フューレイ2題。
ひとつは83年のELLEに掲載されていたルイス・フューレイとキャロル・ロールのインタビュー記事。フランス語が堪能だった当時のガールフレンドがコピーして記事を全訳してくれたもの。日本版のエル・ジャポンも82年ごろから発行されていたけれど、わが国ではニュースヴァリューに欠けると判断したようでこの記事はオミットされていた。彼女は仏版を購読していたので目ざとく見つけて邦訳してくれたのだ。ルイス・フューレイに関しては当時は(今もだが)情報がほとんどなかったのでとても興味深いアーティクルとして読めた。
同じ頃、ラフォーレ飯倉(そう、原宿だけではなく飯倉にもあった)にローリー・アンダーソンの初来日を一緒に観に行ったおりに、バックのスクリーンの映像の中に「language is a virus from outer space」というバロウズの有名すぎる(僕でさえ判った)一節が映し出されていたのだが「瞬時には判らなかった、英語能力が無ないのが情けない」と落ち込んでいたのも思い出した。 そういえばハネムーン・キラーズ(マイク・オランデルとヴェロニク・ヴィンセントの)やジョン・ハッセル、ペンギン・カフェ、フィリップ・グラス(芝郵便貯金ホールだったか)なんかも観に行った。今よりはるかに行動範囲が広かったようだ。しかし出てくる固有名詞だけ見てるとスノッブで鼻持ちならないただのガキだな(笑)、まあ一事が万事、こうではなかったのだが。
もうひとつはルイス・フューレイのセカンドアルバム「The Humours of」が77年にほぼリアルタイムで日本盤発売の運びとなった時、事前に媒体に配られたプロモーション用の日本語バイオグラフィー5枚とプロモ写真。インタビューを模したオートバイオグラフィーになっており面白いのだが、肝心のレコードは邦題、レコード番号まで決まっていながら直前になって日本での発売が見送られた。ちなみに出されるはずだったアルバムの邦題は「ユーモアじかけの欲望と陶酔」だった。