ある一定以上の

 坂本の新譜を聴いた。ちょこちょこ話はきいてはいたが、いろんな意味でここまでとはおもわなかった。
 2014年の日本でこういう歌詞をこういうサウンドに巧妙に溶け込ませて歌うひとがヒップホップでもラップでもなくロック(本人はもうロックではないと言うだろうけど)に居たこと。
 これを聴いて、楽しくなる人、ウキウキしてくる人はおそらくほとんどいないだろう。どこか居心地の悪さや後味の苦さを感じざるをえないだろう。さながらリトマス試験紙のようでもある。
 底の浅い文学性を徹底的に排除し、平易な話し言葉を狙いすましたように組み合わせてあるしなやかな文体。パロールがエクリチュールに次々に反転していく様は聴いていて痛快でさえあり、彼の全キャリア中、最もコンセプチュアルな強度を持った作品だということは間違いないだろう。そしてここから見える眺望からはたとえば彼が近年「自分でも気持ちいいほどなんの興味も無い」と言っていた彼の在籍したバンドの事象などもはや遥かに遠い点としてしか俯瞰できない。
 ライブをやらない事で完結する作品。今後所謂「意識的」といわれるアーティストのとる行動は「ライブしかやらない(作品もライブ録音のみ)」か「ライブはやらない(録音物がすべて)」の2極に分かれて行きそうな予感がする。そしてそれはノイズやアングラからJロック(?)に至るまで、「エンターテイメント」も「おもてなし」も不要な僕にとっては至極当然な事の様におもえるのだ。

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