あれは79年頃だったか。いつものように学校へは行かず新譜レコードと本を調達しに渋谷へ。
東急文化会館脇の通路を渡って階段を降りたところに狭く細長い輸入盤店があった。ちょっと変わったヨーロッパ盤などが入荷したりしていたので時間のあるときはのぞくようにしていた。
そのお店、M&Mトレイン(通称エムエム)に入ると壁に奇妙なデザインのジャケットが飾ってあった。入荷したばかりのお店の推薦盤を壁に飾るのは今も昔も変わらないが、そのイージーリスニングのようなジャケットに近寄って見てみるとそれがThrobbing Gristleの新譜だということに気がついた。タイトルは「20 Jazz Funk Greats」。
とりあえず1枚購入して一服、それからいつもの順路でCISCOから公園通りのユニオンへ。驚いたことにどのお店でもあのムード音楽風ジャケットが壁に張り巡らされていて「ついに入荷!」「推薦盤!」などと猛プッシュされている。
前作「D.O.A.」が先物買いの人たちの間で話題にはなっていたけれどここまでくるとは思わなかったので面食らったのは確かだ。
79年といえば他にもJoy Division、This Heat、Pop Group、Cabaret Voltaire、Swell Mapsそれぞれのデビュー盤がリリース、Residentsの待望の新譜「Eskimo」やChromeの「Half Machine Lip Moves」なども発売され都内の輸入盤店ではどれも店頭平積みになったりして大きな話題になっていたので待望されていたインダストリアルの大御所による新作登場という空気感もあったかもしれない。
とりあえずTGが渋谷を制圧したような気さえした1日だったが、ジェネシスの訃報を聞いて真っ先に思い出したのがこの日のことだった。
それからしばらくして今度は白ジャケにモノクロの粗悪なコピーを貼り付けただけのジャケットのレコードが輸入盤店に出回り始めた。それはどこかの団地のような写真のコピーで布団のようなものがベランダに干してあることから日本の建物の写真じゃないか?そしてこの雰囲気はもしかしたら高島平団地では?と直感的に思ったものだ。それがWhitehouseのファーストアルバム「Birth Death Experience」だった。
雑誌にレビューが載るようになるとTGの「20 Jazz Funk Greats」のジャケット撮影場所が自殺の名所だった、撮影はカップルが車ごと崖から落ちた翌日に撮影された、などという情報が流れてきて、そういえばこの時期、高島平団地は投身自殺が頻発して社会問題化しており、だとしたらこれは「20 Jazz Funk Greats」のジャケットへのアンサーまたはパロディか?とも考えたがインターネットもない時代にWhitehouse、というかベネットがその事実を知ってアートワークに使用する可能性は低かったと思う。そしてそれが本当に高島平団地だったかどうかは僕は今もって知らないのだけれど。
話がそれてしまったが、自らの活動を「情報戦」とも位置付けていたTGは音楽それ自体とイメージ戦略を(自発的に)等価に扱った70年代初の「前衛」ポップグループだった。グループのシンボルマークやタイポグラフィー、ジャケットデザイン、スローガン、コスチュームまで徹底することによって音楽に特別な付加価値を与えることに成功した。当時追随するように出てきたインダストリアル系のグループのジャケットやアートワークがモノクロでザラザラした不明瞭なものやグロテスクなコラージュが多く見られたのに比べTGの「Jazz Funk」や「Greatest Hits」に見られる明快なイメージとスマートな諧謔性は際立っていた。しかし裏を返せばその手法自体は60年代にウォーホールがVUを使ってやろうとしていたことの焼き直しのようにも思えるしジェネシスがTG以前にやっていたCOUMにおけるパフォーマンスはこれも60年代のウィーン・アクショニスト三羽烏(ニッチェ、ブルス、ミュール)の影響が色濃く出たものだ。
そういったことを考慮してもなお、たとえば僕らのような当時の10代の若者にとってTGは音楽と非音楽の境にある、仄暗い扉を開くきっかけになったことは間違いない事実だ。Entertainment Through Painというパラフレーズとともに。
それからもう40年。あのとき僕の隣でやはり「20 Jazz Funk Greats」を小脇に抱え、レジに持っていっていたキミはいまどこでどうしているのだろうか。