桁落ち

 ちょっと見ない間に埋めてあった物が掘り起こされたりとっくに死んでるところを叩き起こされたりしててどうしたの、なにかあったん?と尋ねるまでもなく、誰かのホントの死をきっかけとしてタガが外れる、ということがあるんだなあ、と妙に納得。
 これからは、時間場所まで特定した上でご存じない方にはお帰りいただくとして、という風潮になるんだろうけどだったら「関係論の視座ってさ」とか「みた?NHKのイ○ーナウ」とかまで苦笑いできる小ネタもあればいいのに。一部にとっての起点なのは間違いないだろうし。
 60年代末から聯綿と続いた「ロックと私」にまつわるひとりがたりがニューヨークパンクの等身大性やフリージャズの速度という免罪符を得て、不可視だったものがやがて青臭いゼリー状の固まりになっていくのを見ていた10代は多いはず。
 「ノイが腐ってくようなのがやりたい」とK谷が言ってた頃のノイと今の(もうとっくにないけど)ノイでは在り方も意味も違うし、アイヴァースが初めてJamで紹介された時、レビュー中にルイス・フューレイの名前があったことで決定的になってしまったことも演奏者にはまったく無関係な「こちらの事情」でしかないし。
そんな「事情」をいま、噛んで含めるようにして説明する意味?
だって、これも全部嘘かもしれないって言ってたじゃん!

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