days of the xtabay

 興味深い雑誌やwebの記事を見つけたらお互い連絡する事になっている某サカモトが「これ面白かったですよ」とメールをくれて、読んでみるとハイファイの松永氏が「Home Made Records 1958-1992」という本の著者のJohan Kugelbergにインタビューした記事だった。僕はその本は未読なのだが、どうやら50年代から90年代に、アマチュアが自主制作したレコードを紹介したガイド本ということらしい。以前も書いたようにレコード・ガイドやカタログ的な本には興味が無く、なんだかなーという感じだったけど、そのインタビューを読む限りではなかなか面白そうなので機会があれば手に取ってみようかと思っている。
 というのも、そのインタビューの中で著者の最大の協力者として出て来るのがPaul Majorというレコード・ディーラーで、僕は彼が最もアクティブにディーラー活動をしていた80年代後半に知り合った。その頃彼はsound effectsというレアでオブスキュアなサイケのレコードの通販リストを発行していて、僕はカスタマーだったのだ。ポールは当時誰も知らなかった60〜70年代の自主制作盤を発掘してきてはそのジャケットに載っている住所や氏名を頼りにメンバーや関係者を探し当て、残っていたデッドストックをまとめて買い取って自分のリストで売っていた。今では有名になったIndexやNew Dawn、Stone Harbour、UKのDark、更にマニアックな、彼が「real people」というネーミングを与えて広めた変わり者のレコード、Peter GrudzienやKenneth Higney、Bob Trimbleなども発掘していた。今や伝説となってしまったあのShaggsも彼の初期の発掘だったんじゃないかな。
 そのインタビューでも語られているようにポールのレコードの説明文は独特で読んでいるとどのレコードも素晴らしく思えて来るから始末が悪い。もちろんインターネットもサイケデリック系レコードのガイド本も情報さえもまったくと言っていいほど何もない時代なので取りあえず説明を読んで気になったら買って聴くしかないのだが、なにせ値段がとんでもない。円/ドルのレートもそれ以前に比べて下がってきたとはいえ、まだ1ドルが150円前後だったし、延々と続く絶賛文の最後に付けられたプライスは数百ドルから千ドルを越えるものも珍しくなかった。載っているレコードの多くは見た事も聴いた事もない自主盤で妄想は膨らむ一方だが、冷静に考えてみればどこの馬の骨とも知れぬ奴が作ったようなレコードに、ハイわかりましたと巨額のお金を払える訳がない。するとポールが「こういう日本のレコードを探してきてくれればトレードするよ」というので今度は彼のウォントを片手に都内のレコ屋を回るハメになる。70年代前半の所謂ニューロックとかGSは知っていて、まだ安く見つかる事も多々あったが、80年代当時、名前も聞いた事がなかったJustin Heathcriffって、コレはなに?とポールに尋ねるとイギリス人が70年代初期に日本で制作したアシッド・フォークだ、という。洋楽のコーナーを探しているうちに続けて何枚か1000円ぐらいで見つけたのだが、邦楽に詳しかった友達に訊いたところ、実は喜多嶋修の変名アルバムだと言う事だった。東京の中古屋がそのLPを洋楽のコーナーに選別していたように、まだ情報が糸電話レベルの時代で、海外のトップ・ディーラーでさえそんなものだったのだ。
 そんなこんなでいろいろと苦労してトレード成立、入手したはいいが、「コレ、こんな内容でこの値段?」というのも結構掴まされたものだ。勿論その逆もあった。例えばVirgin Insanityは今では再発され聴けるようになったが最初に見つけてきたのはポールだった。リストの、dreamy & obscure late night magic in the most basement sounding way…というタタキ文句に煽られて、$200ヴァリューぐらいのトレードで入手したとおもう。今ではサイケ系のみならず重箱の裏側まで、ほとんどが再発されており容易に聴けるようになったが、さすがにあの当時と比べると隔世の感があるのは否めない。
 ポールはその後、もうひとりの米サイケ自主盤のトップディーラーだったGreg Breth(ちなみにイギリスでのこのジャンル開拓第一人者はあのPsychoレーベルで80年代初頭にいち早くサイケのブート再発をリリースしていたMalcolm Gallowayで、KentでFunhouseという小さなレコード屋をやっていた)と組んでXtabayという究極のコレクターズ・ショップを始めて通販リストも出していたがやはり、というか、すぐに仲違いして袂を分かつことになる。余談になるが90年代初頭に後のMajor Stars、当時Crystallized Movementsのギタリスト、Wayne Rogers(彼もサイケ、ガレージのコレクターで、ボストンでレコードショップを運営していた)とForced Exposure誌の編集長によるサイケ・ノイズ・ユニット、Vermonsterが「Spirit of Yma」というアルバムを出したが、これは前述のポールとグレッグのショップ(通販リスト名でもある)、Xtabayへの皮肉、というか、かなり痛烈な批判で、表ジャケでは彼らのショップ名の元ネタであるイマ・スマックのVoice Of The XtabayのLPジャケットにナイフを突き立てたもの、裏ジャケは女の子がMorly GreyのポスターをバックにWendy & BonnyのLPジャケットを持ってポーズをつけているものだが、80年代当時、東京の某中古チェーン店にもBob Smithなどと並んでシールドのデッドストックが安価で沢山あったWendy & Bonnyを、Xtabayで「Pet Soundsを想起させるサイケ・ポップのレア盤」と称して高値で大量に売った事に対するあてこすりのようなデザインだった。付されたライナーノーツはXtabayの通販リスト説明文の常套句のパロディで、バンド名のVermonsterというのはグレッグが80年代半ば、地元Vermontで誰も知らないレアな自主盤を通販で高値で売っていたときに彼に付いたニックネームだった(レア盤の事を「モンスター」と形容し始めたのは彼だろう)。
 ポールとは当時は手紙と電話(国際電話は高かった。。。彼はFAXを持っていなかったので)のみでの付き合いだったが、その後ニューヨークに遊びに行った折に2度ほど会った。
 何年かしてゆら帝のNYライブに同行した際、リハで楽屋に居るとポールが入って来た。お互い、「お前、なんでここに居るの?」と驚いたが、彼はなんとその日の対バン、Endless Boogieのリーダー兼ギタリストだったのだ。更には最初の方に書いたガイド本の著者ヨハンもそのバンドのメンバーだった。
 今はあまり付き合いも無くなってしまったが当時仲が良かったディーラーで鬼籍に入った者も少なくはないし、このインタビューで元気でやっている事が判っただけでも良かったと思っている。

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