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 前回載せた写真、あの3人は70年代末〜80年代前半、吉祥寺某から派生した東京アングラシーンの最深部で最も嫌われ、批判された3人だった。「なんで?」と訊いてみれば「フリップはインチキ神秘主義、イーノはフェイク、ボウイは単なる商売人」で、「◯◯さんがそう言ってた」
 誰しも若い時分に師と仰ぐ人から「コイツはニセモノ」と断言されればそう思い込んでしまうのも無理は無いが、それは◯◯さんのフィルターを通した価値観で、勿論彼と同じ価値観を共有したいと欲するシンパにとってはそれでいいのかもしれないがそれを自論のごとく声高に吹聴されてもな、とおもったものだ。
 あの3人はボランやバレットのような天才ではありえなかったが単なるトレンドセッターでもなかった。早い、という事で言えばボウイ76年のStation To Stationのイントロはエドガー・フローゼのアクアかイプシロンから拝借しているしLowやHeroesのB面は誰もが認めるようにタンジェリン/フローゼからの影響が色濃い(Lowのレコーディングに際してはミヒャエル・ローテルにギターを頼んだが簡単に断られている)。RCAからは「もっと売れそうなポップなものを作れ」とさんざん文句を言われ、発売も延期されたがボウイは頑として譲らなかった。
 その後現在に至るまで、短いスパンで数えきれないほどの再評価とコピーを繰り返されて行くことになるジャーマンロックをポピュラーミュージック、メジャーのフィールドで最初に取り込んだのはボウイとイーノだったとおもう。それは単に目新しい方法論、というよりは彼等にとっての必然だったような気がする。同級生の友達が「次のボウイのアルバム、イーノとフリップが参加してるらしいぞ」と教えてくれたとき、何故だか「遂に来たか」と感じたように。そして今にして思えばそれは当時から現在に至るポピュラーミュージックの抱えている限界でもあった。
 インチキだろうがなんだろうがそんなことは関係ない。僕はあの3人が、緊密な関係性を保持しながらそれぞれ別の方向に視線を定めているように見える、あの写真が好きなのだ。

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