また、いつかどこかで。
領域
catch a falling star again
アンソニー・ムーアのOutがヒプノシスのオリジナルジャケットでLP化というニュースが。
この当初発売されることのなかったレコードを語るには、このレコードのことを昔から知っている大方の人と同様、78年(みなさんも高校生だったかな?)のRMにおける阿木譲の当該記事まで遡らねばならないのだろう。
その頃は一部の批評家が「何をどう聴くか」を思想的に先導(いや煽動か)しており、現在のような少しマニアックに音楽を聴くミュージシャンやDJ主導のプレイリスト的なお手軽なものではなかった。
例えば阿木はある新譜レコードを「これだけは買え、どうしてもお金がなければ盗め」と言い、また間章は別のあるレコードを「自宅を売却してでも買え」と言った。レア盤がどうの、ということではなく入手しないと聴けなかったからだ。音楽がデータではなくレコードという呪物だった時代。
Outは80年代初頭から人から人へ密やかに耳打ちされ続け、どこからかコピーされたテープがレコード店のカウンターの下からそっと手渡され、それがまたコピーされて、を繰り返してきた。
90年代末に「奇跡の」CD化された時はジャケットの改悪、曲順の変更などかなりがっかりさせられたものだったが。
とりあえず現物を手にしてみないとなんとも言えないが、40年以上に渡る「ロックの幻想」の行方は如何に。。。
summer 2020
俺たちにはピースなヴァイヴスも見せかけのフリーダムも要らない
version 1.0
テーブルの上に「formula version 1.0」となぐり書きされたCDrが置いてあってこれは実はプレス直前までformulaのCDは2枚組の予定だった、ということの証左でありリリース時には通常の1枚ものになったわけだがなぜ2枚組だったのか、ということに関しては若干の説明が必要だろう。
まず2枚目には何が収録されていたかというと、こちらでは演奏された音楽だけが入っているのかと思いがちだがまったく逆で音楽を取り除いた雑踏のみが若干の電子音を追加して収録されている。これこそがformulaの正体で、本盤で演奏されている音楽は演奏者の記憶が漂っているだけの、いわば実像のないものに過ぎない。もしくは「かつてはそこにあったかもしれないもの」とも言えるだろうか。
当初のアイデアとしてはこの「version 1.0」をPCに取り込み購入者の好きな音楽、つまりポップス、歌謡曲、ノイズ、ジャズ、クラッシック、民族音楽なんでもいいのだがこの雑踏と好みの音量でミックスしてもらうとその音楽自体、またはそれを愛好する購入者自身と世界との距離、過去の関係性がぼんやり浮かび上がってくる仕組みだった。
なぜ「version 1.0」の追加を断念したかはさておいて、formulaは「個人的な演奏者の記憶」が世界の中に溶け込みそれが不明瞭な遠景のような形で映し出される作品だった。それから数ヶ月、現在世界は予想だにしなかった事態の中にある。そしてこの作品の音像/雑踏には焼けつくような懐かしさしか残らなかった。
tokyo 1979
あれは79年頃だったか。いつものように学校へは行かず新譜レコードと本を調達しに渋谷へ。
東急文化会館脇の通路を渡って階段を降りたところに狭く細長い輸入盤店があった。ちょっと変わったヨーロッパ盤などが入荷したりしていたので時間のあるときはのぞくようにしていた。
そのお店、M&Mトレイン(通称エムエム)に入ると壁に奇妙なデザインのジャケットが飾ってあった。入荷したばかりのお店の推薦盤を壁に飾るのは今も昔も変わらないが、そのイージーリスニングのようなジャケットに近寄って見てみるとそれがThrobbing Gristleの新譜だということに気がついた。タイトルは「20 Jazz Funk Greats」。
とりあえず1枚購入して一服、それからいつもの順路でCISCOから公園通りのユニオンへ。驚いたことにどのお店でもあのムード音楽風ジャケットが壁に張り巡らされていて「ついに入荷!」「推薦盤!」などと猛プッシュされている。
前作「D.O.A.」が先物買いの人たちの間で話題にはなっていたけれどここまでくるとは思わなかったので面食らったのは確かだ。
79年といえば他にもJoy Division、This Heat、Pop Group、Cabaret Voltaire、Swell Mapsそれぞれのデビュー盤がリリース、Residentsの待望の新譜「Eskimo」やChromeの「Half Machine Lip Moves」なども発売され都内の輸入盤店ではどれも店頭平積みになったりして大きな話題になっていたので待望されていたインダストリアルの大御所による新作登場という空気感もあったかもしれない。
とりあえずTGが渋谷を制圧したような気さえした1日だったが、ジェネシスの訃報を聞いて真っ先に思い出したのがこの日のことだった。
それからしばらくして今度は白ジャケにモノクロの粗悪なコピーを貼り付けただけのジャケットのレコードが輸入盤店に出回り始めた。それはどこかの団地のような写真のコピーで布団のようなものがベランダに干してあることから日本の建物の写真じゃないか?そしてこの雰囲気はもしかしたら高島平団地では?と直感的に思ったものだ。それがWhitehouseのファーストアルバム「Birth Death Experience」だった。
雑誌にレビューが載るようになるとTGの「20 Jazz Funk Greats」のジャケット撮影場所が自殺の名所だった、撮影はカップルが車ごと崖から落ちた翌日に撮影された、などという情報が流れてきて、そういえばこの時期、高島平団地は投身自殺が頻発して社会問題化しており、だとしたらこれは「20 Jazz Funk Greats」のジャケットへのアンサーまたはパロディか?とも考えたがインターネットもない時代にWhitehouse、というかベネットがその事実を知ってアートワークに使用する可能性は低かったと思う。そしてそれが本当に高島平団地だったかどうかは僕は今もって知らないのだけれど。
話がそれてしまったが、自らの活動を「情報戦」とも位置付けていたTGは音楽それ自体とイメージ戦略を(自発的に)等価に扱った70年代初の「前衛」ポップグループだった。グループのシンボルマークやタイポグラフィー、ジャケットデザイン、スローガン、コスチュームまで徹底することによって音楽に特別な付加価値を与えることに成功した。当時追随するように出てきたインダストリアル系のグループのジャケットやアートワークがモノクロでザラザラした不明瞭なものやグロテスクなコラージュが多く見られたのに比べTGの「Jazz Funk」や「Greatest Hits」に見られる明快なイメージとスマートな諧謔性は際立っていた。しかし裏を返せばその手法自体は60年代にウォーホールがVUを使ってやろうとしていたことの焼き直しのようにも思えるしジェネシスがTG以前にやっていたCOUMにおけるパフォーマンスはこれも60年代のウィーン・アクショニスト三羽烏(ニッチェ、ブルス、ミュール)の影響が色濃く出たものだ。
そういったことを考慮してもなお、たとえば僕らのような当時の10代の若者にとってTGは音楽と非音楽の境にある、仄暗い扉を開くきっかけになったことは間違いない事実だ。Entertainment Through Painというパラフレーズとともに。
それからもう40年。あのとき僕の隣でやはり「20 Jazz Funk Greats」を小脇に抱え、レジに持っていっていたキミはいまどこでどうしているのだろうか。
2020
先日、山本(精一)くんと会って
「石原くん、いよいよ2020年やなあ。2020年といえば。。。」
「ケムール人だよね」
「そ!そうなんや!それを言っても誰もわかってくれんのよ~ やっぱり我々にとって2020年と言えばケムール人だよな~」
なんのことかわからない若い人も多かろうがケムール人とは60年代のTVドラマ、ウルトラQに出てきて当時の僕らのような未就学児童を震え上がらせた異星人で可動する3つの目が左右と後頭部に並ぶのはデザインした成田亨によれば「常に怯えて周囲をうかがっている未来人」をイメージしたものだそうだ。
ケムール人の登場した作品のタイトルは「2020年の挑戦」。彼は2020年という未来の惑星からやってきたという。
そして今年。そのころ夢想していたはずの未来の「世界」は全く異なるものになり現在は手のひらにすっぽりと収って持ち歩けるものになってしまった。その薄い長方形の物体の中に在るものが「世界」だそうだ。
世界は0と1のデータの集積。誰かが作ったプログラムではなく自分にとっての定式は見つけることができるのだろうか。
でも僕はスマホはおろか、携帯すら一度も持ったことがないんだよね。
formula
2019
notting hill
楽屋に続く階段を上っていくと途中にファレンが座っていて肩で息をしていた。僕は軽く会釈して持参したGet On Downの仏本を取り出すと「フランス語版じゃないか、こんなの出てたんだな」と言ってサインしてくれた。
打ち上げの席でコルクホーンにWARSAW PAKTのLPを差し出すと横に居たファレンがジャケットを覗き込んで「うわ、すごいの出てきたよ、何十年ぶりだ?(インサートの写真を見て)アンディ、若いじゃないか!」と盛んに冷やかした。コルクホーンは恥ずかしそうにニガ笑いしながらcheersとだけ書いて、それから自作だというCDRを1枚くれた。
ノッティングヒル・コネクション。20年前のことだ。