月別アーカイブ: 2015年6月

遊戯の終り

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all through the night

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inbetweens

 そんなわけで10数年、いわゆる業界的(?)なものに片足突っ込んだり横目で見て見ぬフリをしながらやりすごして来たのだが、ここへきていよいよ自分の許容量を越えて来た、というかそもそもなんでこんなところに居るのかよくわからない。いくらなんでもここではなかっただろうという苦々しい自嘲が日々増大する一方ですこぶる具合が悪い。プチ芸能やエセ業界ごっこ、セミメジャーでしかない日本のインディーがどういう層に支えられているかもよく判ったし、ここでは批判や批評というコトバ自体が無効なのもよく判った。経験としては面白かったかもしれないが居るべき場所ではなかったということかな。
 30年前に捨てたはずの手法をこのぐらいの受け皿にはこの程度の塩梅で、と再利用していくことのうしろめたさと連綿と続く墓暴きへの徒労感は本来ならクラブシーンに請け負ってもらうべきものだったが優れたDJにはある(べき)だろう引用する文脈に対する批評性が、どこまでも未熟なこの業界にはまるで欠如していた。 言い換えれば未熟でなければ存在出来ないのがこの場所であり何かを視てしまったり知ってしまったりすればたちどころに「面倒くさいやつ」として追放されてしまうのだ。こうしてAマイナーはメジャー7thに駆逐されて行く。
 なんでも知ってそうなひとは話してみると実はなにも知らない。知ってるフリをした方がここでは上位に居られるからで、突き詰めようとすると概ね面倒くさがられるか話題を変えられる。その対象に関して語るべきことなどハナから持ち合わせてないから。インターネット以前なら、一般には知られていない◯◯を知っている、ということはそれなりの時間をかけてそこまでたどり着いたということだったが現在ではただその固有名詞を知っているという事実でしかない。昔ならそれを知っているだけで一目置かれたかもしれないが今ではそういったマイナーな名前を出された瞬間に萎える。それは大概の場合、自分はこんな変わったものが好きなんですというコンプレックスの裏返しの優越性や承認欲求の道具としてしか使われていないような気がするからだ。更にSNSのようなツールの中では単にフォロワーを増やす為の検索キーとしてボロボロに使い捨てられて行く。
 そんなこと最初から判ってたでしょ、と言われれば返すコトバもないが、みなさんそんなことより「◯◯のXXさんって、最近どう?」みたいな同業者の動向や囲い込みにの方に熱心なご様子だし。
 クレジオじゃないけど、どっちつかずの無限に中間なところに居たかった自分としてはそろそろどこか別の場所に流れていきたいかな、なんてね。

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冷淡辛口

 10代の頃、雑誌で読んだインタビューで今も印象に残っているセリフが幾つかある。ひとつはデビュー前、日本でも新聞や雑誌をにぎわす以前のジョニー・ロットン(現ライドン)の「おれたちゃ全てが憎いのさ」であり、もうひとつはスーサイドのファーストをリリースした当時のアラン・ヴェガの「僕らは人生をあきらめた」だった。あとポップ・グループがデビューした時の「他人に出来ないことが僕らにできるはずがない」というのも。個々の音がどうだったかは別で、あくまでコトバとしてだけども。
 どれも翻訳モノだし、前後の文脈が不明なので活字になったものと実際のニュアンスに隔たりがありそうだが、そんなことはどうでもいい。それまでミュージシャンで「全てが憎い」だの「人生を諦めた」だの「他人に出来ないことは自分にも出来ない」などと発言しているのをみたことはなかったからだ。大概は自分を必要以上にでかくみせようとしたり、反対に謙遜してへりくだったりしたものだったので、これらを読んだ時は胸のすくおもいがすると同時にシンパシーめいたものを感じたりもした。
 
 あれから幾星霜。僕は相も変わらず世の中のほとんどの物事や人達が嫌いなのだ。誤解されたくないのでひとこと加えるなら、憎い、などというドロドロした感情ではまったくないし、例えばモツ煮が嫌いでもモツ煮が憎い、というひとはいないだろう。
 じゃあ特に何が嫌いかって?それはまた今度会ったときにでも。

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