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Sannomiya Twilight
先日の刊行記念イベントで安田謙一さんからいただいた「神戸、書いてどうなるのか」を読了。
子供の頃からから寺田寅彦随筆集のようなエッセー(とは言えないか)が好きだった僕には軽妙だけど愛情溢れる眼差しと筆致がとても面白く、筆者と同世代ということもあるのか、ほとんど行った事の無い神戸が身近に感じられる一冊だった。
神戸、三宮といえば小学生の頃、親が万博に連れて行ってやるというので家族で大阪に旅行したことがあった。たしか9月の初頭で、期間終盤だったので人出も落ち着いてるだろう、という親の予想に基づきわざわざ学校を休んで行ったのだが、いざ着いてみると凄い人でどのパビリオンも長蛇の列、待ち時間2時間超えなどザラで、入場直後、その光景を見て早くも耐えきれなくなった父が「やってられん、三宮へステーキ食べに行くぞ」と弟を連れて勝手に会場を後にしてしまった。
残された僕と母はいくつかの待ち時間の少ないパビリオンを申し訳程度に見学して(何を見たかまったく覚えてない)太陽の塔の置物とペナントを買ってもらい、夕方前には早々に三宮に向かった。
夜の三宮はさんざめく人波とネオンに彩られてとても魅惑的だった。予約してあった駅前のホテルに宿泊して翌日には帰路についたのだが、結局この万博旅行で印象に残ったのは会場で初めて食べたアメリカンドッグの味と三宮の夜景だけだった。
a new career in a new town
30 odd years
それはかつては暗渠のように張り巡らされていた。いまはもう無い。自己、といえばそれは拘泥であり、他者からの見え方、振り返った肩越しにぼんやり映る顔の無い連中の気分を察しながらそいつらとの折り合いを付けて行く作業に従事するもの、に過ぎない。もちろん本人は一歩先に出なければ意味が無い、のだろうけど。
でもそれは出たつもり、であればそれでよくて、ここに目をつけ(てみ)ました的な、イヤミにならない程度に留めておくチープなスマートさは100円ショップのようだ。
例えばヴィック・ゴダードはそういう策謀や戦略とは無縁な場所に存在し続けてきた。
76年にサヴウェイ・セクトとして最初期のUKパンク、ダムドやピストルズ、クラッシュと同時期に活動を始めながらマネージャーの気まぐれから録音したアルバムは発売されず結局シングル2枚残して解散、それからはバンドを再編しつつポップで奇妙なフォークロックとフェイクジャズの折衷みたいなアルバムを制作、「台所で料理中の主婦に聴いてもらう音楽をめざす」とか「トレンディな客には興味は無い、むしろ中年に聴いてもらいたい」などと言って、客入れではドビュシーを流していた。
80年代途中に興味が無くなったのかいつのまにか引退、ハンバーガー屋で働きだして店の娘と結婚、その後は郵便配達人に転職した。
ジョニー・サンダースが死んだので郵便局仲間とトリビュートの曲を作ってなんとなく復活、そのあとはあのマーク・ペリーとバンドを組んだり、とりたててトピックになることもないけど消えもしない、ゆるく浮かんだり消えたりを繰り返しつつ今に至っている。
ドラッグとか死とかいわゆる旧態然としたロックの美学とはほとんど縁のない人で、かといって求道的なところも一切無く、音楽的にもそうだけど国は違えどアレックス・チルトンをなんとなく想起させる。アレックスと違うのは10代の頃にトップ・ヒットを出していない事だろうか。
ちなみに僕はビッグ・スターよりアレックスのソロの方が100倍好きだ。