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 80年代半ば、耳ざとい友人や輸入盤店で話題になり始めたレコードがあった。イギリスの4ADからリリースされたThis Mortal Coilという女性ヴォーカルを含むユニットで、ティム・バックレイやビッグ・スターのカヴァーをやっているという。ジャケットのアートワークの耽美さが苦手だったがとりあえずシスコだったかオパス・ワンだったかで購入した。
 一聴して「コレじゃないだろ」という嫌悪感にも似た感情を覚えた。ティム・バックレイは「Song To The Siren」、ビッグ・スターは確か「Holocaust」と「Kangaroo」だったが、そのカヴァーの出来不出来はともかく、その選曲に拒否反応を起こしたのだった。
 原曲は今も多くのリスナーに愛され続けている名曲なのは認める。しかしそこだけがピックアップされることによって彼らのイメージが決してしまうような気がしてならなかったのだ。実際、このアルバムは当時日本でもすごく売れたしこれでチルトンやバックレイ、ロイ・ハーパーを知った人も多かったと思う。
 「傷つきやすい繊細さ」や「無垢なナイーブさ」をこよなく愛するミュージシャンやリスナーは今も数多いだろう。そういう捉え方、そしてどうも近年感じる「サードが好き」的な風潮の端緒と感じたのがこのアルバムだった。例えばビッグ・スターはサード、ヴェルヴェッツもサード、ラヴはフォーエバー・チェンジスなどなど。
そこには、その前にVUならメタリックなゴミのように歪みまくったWhite Light White Heat, バックレイなら寒気がするようなLorca、チルトンなら(後になるけれど)個人が解体していく過程を自らドキュメントしたかのようなLike Flies On Sherbertがある、という当たり前の文脈がすっぽり抜けているような気がするのだ。もちろんそれを承知している上で、という人も多く居るというのも判ってはいるのだが。
  キレイなものだけ見ていたいとか自分のナイーブさだけを標榜するような人は、だいたい会って話してみるとやたらとイケ図々しいヤツだったり計算づくの無邪気なそぶりだったり根拠のない被害者意識の塊だったりして疲れることこの上ない。まあ僕のようなひどく鈍感で繊細さのカケラもないと常々自負している人間にはわからないだけなのかもしれない。きっとそうなのだろう。

  83年から84年頃、This Mortal Coilや同じ時期に出た他のレコード(インダストリアル系も含む)を聴いて、数年続いた嵐のようなパンク〜ニューウェイブの季節が終わり、再びプログレ的な様式美の世界(インダストリアル系だとジャーマンのタンジェリンのAtemとかZeitの頃みたいな形の抽象)に回帰していくのだろうなとぼんやり感じたあたりから輸入盤店に行って新譜を買うということをしなくなってしまった。そして同時に自分が体験できなかった60年代の未知の音楽を中古盤店で探し求めるようになっていった、というわけなんです。もう20代も半ばにさしかかろうとしていて、こりゃ自分でちゃんとやったほうが早いのでは、などとも思い始めていた頃でした。

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