70年代末だったか80年に入ってからだったか、パンク発生以降、ロックのスポンジ化(イーノ)とハヤリスタリが激しさを増して、昨日NO NEW YORK、POP GROUP、今日はTG、NWW、ホワイトハウスという塩梅で輸入レコード屋も常にアンテナを全方位に広げておく必要があったので大変だっただろうと想像する。
そんな東京の輸入盤屋の中でも当時、嗅覚鋭く入荷も早かったのが数年前にツブレたCISCOだった。折しもレジデンツやクロームなど米西海岸の先鋭音響が話題に上りだした時期で、HEAVENやJAM(自販機雑誌の方)でLAFMS(ロサンジェルス・フリーミュージック・ソサエティの通称) のレコードの記事を読んで広告の出ていた新宿3丁目のCISCOへ(アルタに移る前は3丁目の雑居ビルに入っていた)。AIRWAYとBLUB KRADのLPが平積みになっていて値段はそれぞれ¥3800。アメ盤新譜にしては高いな、と思ったがお客さんがどんどん来て「あの~予約してたLAFMSの。。」「はいはい」てなかんじで次々と売れて行く。これは今買わないと無くなるとおもい、2枚とも買った。内容は当時の自分にとっては当時主流だった欧州のアヴァンギャルド系と全く違い、最高に刺激的だったがLAFMSのそれ以前の盤は暫くして中古で見つけるまでなかなか入手できなかった(CISCOの値段設定に関しては後にHEAVEN紙上でも糾弾されていた)。
なにしろ音楽誌やマイナー雑誌だけでなく、当時先端だった流行通信のようなファッション誌でもLAFMSやTG、アヴァンギャルド系のレコードやドゥルーズやデリダが取り上げられるという、ニューアカデミズム/ポストモダン大流行の時代である。そういった嗜好を持つ10代の早熟な少年少女が東京には腐るほど居た。
とはいえ、連日次から次へと刊行される本や雑誌、レコ屋に新入荷した内容もわからぬような輸入盤を買い続けるには(今と違って買わない限り聴けない)それなりの経済力や根気も必要だっただろうから、現在の、ネットをくまなく巡回していれば無料でマニアックな知識や情報も得られると過信しているような情報ジャンキーとは質も熱意も違ったのだろう。まあ、どっちもどっちって話だけれど。
当時よく行っていた池袋のアール・ヴィヴァン(現代音楽のレコード・美術書を中心に扱っており、のちに自主レーベルを始める芦川さんがいた)でもLAFMSやデヴィッド・ローゼンブームの在庫を尋ねてみたがもう廃盤で入荷しないという。代わりにローゼンブーム・プロデュースという事でJ.JASMINEのLPを購入。現音ではない女性ヴォーカルものだがすぐに気に入った。
その帰りに高円寺の中古盤屋で偶然にもそのローゼンブーム・脳波音楽のLPを見つけたので喜び勇んで帰宅、聴いてみると、プーといってるだけだった(そんなわけがない。そのあと2度聴いて名盤認定)。
アール・ヴィヴァンは渋谷パルコや原宿セントラルアパートにもストアデイズやかんかんぽあといった姉妹店(?)をオープンしたが短命に終わった記憶がある。もう名前を覚えてる人も少ないかもしれない。
CISCOといえば宇田川町のCISCOも店員がAIRWAYのTシャツ着てるしラモンテやグリッペをはじめ仏SHANDAR各種が(もちろん新品)大量に平積みになってるし、こんなに売れるのかなと危惧してたらやはりしばらくしてバーゲンになって¥1000前後で投げ売りされていた。
それでも売れなかったらしく数年後CISCOに入社した友達が先輩にきいたところ、結局LAFMSやSHANDARの大量の売れ残りは夢の島に箱ごと投棄した という…アヴァンギャルド好きだったその友達は慌てて夢の島へ探しに行ったようだが見つかる訳も無く(笑)バブルの到来とともに時代はユーロビート、アシッドハウスに移行しはじめていた。